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スープレックス系投げ技 ハーフネルソン・スープレックス ハーフネルソンの体勢から左手で相手の前タイツ部分を掴み、そのまま後方に投げる。受ける側は脳天からまっさかさまに投げ飛ばされる為、非常に危険である。本田多聞は、受身を取りそこない脳天からマットへ落下し、しばらく失神してしまった。中盤から終盤にかけて2発3発と連続して繰り出されることが多い。夜行バス 格安 何度か断崖式で繰り出そうとしているが、危険すぎる為に相手は全力でこれを阻止し全て失敗に終わっている。このためかスクウェア・エニックスのゲーム「オールスタープロレスリングII」では、絶対に失敗する技「ハーフネルソンスープレックス?」として収められている。また、2006年4月23日の丸藤戦で、雪崩式を繰り出している。 2003年に行われた蝶野正洋との一騎打ちでは、何度も起き上がってくる蝶野に対して、計6発を叩き込んだ。高速バス 東京 スリーパー・スープレックス スリーパーで絞った後、右手を補助していた左手を相手の左脇に差し込み、投げやすく持ち替えてから後方に投げ捨てる。ハーフネルソン同様急角度で落ちる投げ技であり、首が完全に固定されている為ハーフネルソンよりも危険度が高い。 元々小橋はジョニー・エースのコブラクラッチ・スープレックスを使用していたが、現在の形に改良した。基本的にビッグマッチ限定で、ハーフネルソン・スープレックスの後に用いられる事が多い。 絞め技 ヘッドロック 太い腕で相手の頭を締め上げる。相手がロープに振ろうとしたり、バックドロップで投げられても、決して腕を離さない。 テキサスクローバーホールド(テキサス式四つ葉固め、荒馬固め) テリー・ファンクが日本に持ち込んだ技。足を裏四の字の形に変則的に交差させての逆エビ固めで、サソリ固めにおいて自分の足を差し込むのを、代わりに両腕を差し込んだかたちと見ることも出来る。小橋の若手時代からの得意技である。 どんたく固め夜行バス 大阪 2006年4月放送の『探偵!ナイトスクープ』にて、「自分が考えたプロレス技をプロレスラーにやって欲しい」という依頼が採用される。その役に小橋が選ばれ、その際に披露された技の一つである。原型は「手でサソリ固めをかける」という物だったが、小橋はその形では決まる前に逃げることが出来ると指摘。その場でテキサスクローバーホールドのように相手の足をロックし、そのまま釣り上げるという形に改良した。改良型が放送直後の2006年4月16日博多スターレーン大会にて金丸義信を相手に披露されている。 カナディアンバックブリーカー 若手時代の得意技。トップ戦線に加わってからはほとんど使っていないが、この技を基にしてダイヤモンドヘッド(前述)を開発している。 フォール技 ムーンサルトプレス高速バス 関西 別名月面水爆。握り拳を作りながら観客にアピールした後、トップロープから高く飛び上がって体重を効かす形のムーンサルトプレスを放つ。小橋にとって最初の必殺技であり、スタン・ハンセンからの初勝利もこの技で奪った。 全日本プロレス時代に乱発し、膝を痛める。ムーンサルトの先輩である武藤敬司の「余り使いすぎるな、俺みたいにボロボロになる」というメッセージを伝え聞いた小橋は、「ありがとうございます。でも、僕の膝ももうボロボロですよ」と返した。結局、手術・長期離脱の原因を作ったことから膝への負担が大きすぎるこの技はノア旗揚げ以降使用が控えられる。しかし2004年の高山善廣とのGHC選手権でバーニング・ハンマーを防がれた小橋は鬼の形相で「行くぞ!」と叫び、かつて評された「青春の握り拳」を作り、コーナーを駆け上り高山の顔面を強打する完璧なムーンサルトを繰り出した。なお、「何故やる前に握り拳を作るのか?」という質問に対し、「威力が倍増するから」と答えている。 ローリング・クレイドル(回転揺り椅子固め)夜行バス 京都 テリー・ファンクが使用していた技で、若手時代に得意としていた。コブラツイストのような体勢から倒れこみ、マットに円を描くような感じで転がった後フォールに行く。返されたら再び円を描くように転がる。現在は元付き人の潮崎豪がこの技を使っている。 獲得タイトル プロレスリング・ノア GHCヘビー級王座(1回/第6代) 在位2年・防衛13回という圧倒的な記録を誇り「絶対王者」と呼ばれた。 GHCタッグ王座(2回/第6代・第12代) パートナーは2回とも本田多聞 全日本プロレス沖縄旅行 三冠ヘビー級王座(3回/第16代・第19代・第25代) 世界タッグ王座(6回/第24代・第25代・第32代・第34代・第36代・第40代) パートナーは三沢光晴→ジョニー・エース→秋山準で各2回ずつ。 第24代の時に世界最強タッグ決定リーグ戦に専念するために一度王座返上。同トーナメントは世界タッグのベルトがかけられることとなり、三沢・小橋組が優勝、再び世界タッグ王者となった(1993年までは世界最強タッグリーグシリーズ時に王位を返上し、その年の最強タッグの優勝チームへベルトが与えられる決まりだった)。高速バス 東京 アジアタッグ王座(3回/第51代・第53代・第59代) パートナーは三沢光晴→ジョニー・エース→菊地毅。 チャンピオン・カーニバル(優勝1回/2000年) 世界最強タッグ決定リーグ戦(優勝5回/1993年・1994年・1995年・1998年・1999年) パートナーは93年〜95年まで三沢光晴→98年〜99年が秋山準。 プロレス大賞 1989年 新人賞北海道旅行 1993年 殊勲賞、最優秀タッグチーム賞(&三沢光晴)・・・ダブル受賞 1994年 技能賞、最優秀タッグチーム賞(&三沢光晴)・・・ダブル受賞 1995年 年間最高試合賞(6/9日本武道館、世界タッグ選手権、三沢光晴&小橋健太VS川田利明&田上 明) 1996年 最優秀選手賞 1997年 年間最高試合賞(10/21日本武道館、三冠ヘビー級選手権、三沢光晴VS小橋健太) 1998年 最優秀選手賞、年間最高試合賞(10/31日本武道館、三冠ヘビー級選手権、小橋健太VS三沢光晴)・・・ダブル受賞スカイホリデー 1999年 最優秀タッグチーム賞(&秋山 準) 2003年 殊勲賞、年間最高試合賞(3/1日本武道館、GHCヘビー級選手権、三沢光晴VS小橋建太)・・・ダブル受賞 2004年 年間最高試合賞(7/10東京ドーム、GHCヘビー級選手権、小橋建太VS秋山 準) 2005年 年間最高試合賞(7/18東京ドーム、小橋建太VS佐々木健介) 2007年 カムバック賞、年間最高試合賞(12/2日本武道館、三沢光晴&秋山 準VS小橋建太&高山善廣)・・・ダブル受賞 人柄夜行バス 神戸 この節の内容に関する文献や情報源を探しています。ご存じの方はご提示ください。出典を明記するためにご協力をお願いします。 プロレス界における小橋の絶対的な人気は、激しい試合内容だけでなくその人柄に拠る所が大きい。以下、小橋の人柄を表すエピソードを記す。 練習内容、試合態度ダイビング 特別なスキルもなく、トップレスラーとなりえたのは、誰よりも練習に励んでいたからだとも言われている。全日本プロレス時代、ジャイアント馬場の付き人としてハワイに行った際に、ひたすらトレーニングをしていた為、見かねた馬場が「休むのも練習の内だから休め」と命令したほどである。また、全日本プロレス時代には、TV放送で試合を解説していた馬場に「小橋は、趣味が練習、職業はプロレスラー」と言わしめたこともある。当時全盛だったロード・ウォリアーズの両者に片言の英語でトレーニング方法を教わったとも語った事がある。トップとなった今でもそれは変わらず、道場には若手の誰よりも早く来て(一説によると朝5時半)汗を流している。なお、厳しいプロレスの練習を乗り切った秋山準やKENTAでさえ、小橋の練習に付き合いオーバーワークで病院に運ばれたという逸話がある。高速バス 名古屋 同じく、2002年の復帰直前、KENTAとともにハワイ合宿を敢行していたが、遊びにも行かず本当に一日中ジムへ篭っていたためKENTAが驚愕し、「最後の日に土産を買う時間だけはください」と懇願したという話もある。全日本プロレス時代、小橋の試合を解説していた川田利明が発した「あいつを殺すには刃物は要らない。ダンベルを取り上げればいい」は彼の練習好きを端的に表す名言。また全日若手時代に、異常とも思える練習熱心さをある中堅選手が嘲笑したところ、当時既にトップレスラーだった天龍源一郎が「おまえら笑ってるけど、今にこいつに食わせてもらう日が必ず来るぞ」と言ったことも有名である。